COORDINATOR'S STORY

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Vol.1 村上英子さん

 インテリアコーディネーターのエピソードをお届けする「コーディネーター奮闘記」。
 記念すべき第1回めは、第一人者である村上英子さんにご登場いただき、これまでのご苦労やアドバイスを語っていただきました。


「女性が仕事をするのが大変な時代に誰もやってないインテリアの仕事に携わってきました。」

終戦後の混乱のなかで、女性も仕事を持ち自立すべきだと痛感。
村上英子さん

 私がなぜ、自立ということにこだわったのか・・・。小学校6年のときに終戦を迎え、さまざまな混乱の時期を体験し、これからは女も仕事をもち自立すべきだと痛感したからです。人一倍努力をしましたが、その原動力は人に頼らずに自立した生き方がしたいという思いでした。
 芸大に入ったことも、自立を目標としていた自分の第一歩。当時は女性の仕事がまったくありませんでしたが、昭和31年に卒業し、デパートの企画課でポスターの仕事をしていました。そして、1年半後に結婚。その後パシフィックハウスという外資系のインテリア設計事務所に入社しました。ここでの仕事が一生インテリアの仕事に携わることになった基礎になったのです。

外資系企業入社当時の村上さん 外資系企業での社内旅行の写真。
撮影時着ていた洋服は当時では珍しく真っ赤だったそう。
外資系企業入社当時の村上さん 外資系企業での社内旅行の写真

母としての村上さん
子供を育てることが一番大事な仕事。両立は大変な苦労でした。

 5年勤めて、出産のため退社しなければならなくなりました。
 社会とつながっていたいという思いから、子育てをしながら専門学校でインテリアの講師をしました。そして生徒に教えるためにインテリアを理論づけてまとめていきました。子供をおんぶしながら英語の辞書を引き、本を読んだことは、今でも覚えています。結局、15年を費やし、3人の子供を育てました。
 何よりも子供がいちばん大切だったし、子供がいてこそ仕事には価値があると思っています。今の世の中、勘違いしている人が多いようですが、子育てはいちばん大事な仕事です。自分の暮らしをきちんとしてから人のことを考えるべきではないでしょうか。
 仕事をしている女性には、子供を育てているときは仕事をセーブし、育て上げたら仕事に専念するというように、その時々で対応していくということを自分の経験からアドバイスしたいです。私自身、いちばん大変だったのが、子育てとコーディネーターの仕事の両立でしたから。

母としての村上さん
母としての村上さん
 こうして、いつの時も歯をくいしばり努力してきましたが、女が仕事をするのが大変な時代に、誰もやってないインテリアという仕事に携わった時期が、日本のインテリア産業のはじまりと重なっていたということは、私にとっては大切な要素です。


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